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The History of Venus

よく見つけましたね。ここにはネットの一員としての私の過去について書いてあります。マリオカートは一切関係ありません。読みたい方だけ読んでください。

あまり楽しい内容ではありませんので、読む場合は注意してください。

ネット社会へ

 私はネットを始めたての頃、携帯でとあるサイトを利用していた。携帯アプリ、マンガなどを集めたサイトで、それにプラスしてSNS機能も付随していた。私はそこで一人の女性(だと思う)と仲良くなった。もちろん当時スカイプやラインなど知っているわけもなく、話す手段はそのサイトの日記や掲示板機能のみだった。しかし話すたびにお互いの趣味についてよく知るようになり、一緒にお互いの趣味を楽しみあった。今の私の趣味の一部としても残っている。細かい個人情報は伏せたままだったが、お互いの住んでいる都道府県や学校の話などもした。またアプリやマンガ、小説を同サイトからダウンロードして利用することができたため、共通の話題にも尽きることはなかった。彼女は小説家になりたいと言っていた。彼女の書く小説にも欠かさず目を通し、推敲などと立派なものではないけれど、意見や感想を交換した。ネット社会に触れ、私が初めて得た「ネットの楽しさ」、楽しみを共有できる仲間を見つけた瞬間だった。毎日私はそのサイトに通い、「コミュニティ」なる集団も立ち上げ、たくさん仲間を増やしたり話題を提供したりするようになった。そんな中彼女はいつでも私の活動を支え、時にネットに関して知識の薄い私を注意してくれた。私にとってネットは彼女と一緒に作る世界となっていた。現実世界とは違う、自分で切り開き、自分で作り上げる世界だった。その楽しさを教えてくれたのは他でもない、彼女だった。
 ある日私はいつものように寝転がりながらそのサイトを見ていた。まだ彼女はログインしてきていなかった。私はコミュニティの掲示板管理をしつつオススメアニメを探しながら次に立てるスレッドを頭に描いていた。午後の穏やかな時間が流れていた。次の瞬間。部屋が、家が、地面が、揺れた。さほど大きな揺れではなかった。私は携帯を眺めつつテレビの前へ向かった。テレビではすぐにその様子が報道された。震度は1か2程度、なにも気にするほどのものではなかった。はずだった。やたらとテレビの報道が長い。小さな地震程度は地震速報として番組の上で文字が流れるだけのはずだった。番組そのものの内容が変わっていた。そう、今日は3月11日。後にこの地震は東日本大震災と呼ばれた。地震そのものの被害も甚大ではあったが、何より津波による被害が最も大きく、岩手、宮城など東日本は壊滅と言っていいほど惨事となった。私は嫌な予感がした。そう、私は知っていたのだ。彼女が、彼女の出身が宮城県であることを…。
 それから、彼女がそのサイトに姿を現すことはなかった。後にそのサイトもスマホ移行の波に飲まれ、閉鎖することとなった。コミュニティメンバーとともに別れを惜しんだが、一番言葉を伝えたかった人が、そこにはいなかった。本当に伝えなくてはいけないことを伝えることは叶わなかった。サイトは閉鎖となったがとある方法で閉鎖後のサイトにアクセスする方法があった。それすら彼女が教えてくれた方法だった。私はこの世界での生き方を彼女に学んでいた。彼女がいなければ私はネットに飽きていただろう。私は毎日、不正なアクセスを繰り返し、コミュニティの掲示板に彼女へのメッセージを書き続けた。もしかしたら彼女が同じ方法でアクセスしてきて、いつか彼女からの返信があることを信じて書き続けた。しばらくして、サイトそのものがネット上からログもろとも消え去り、アクセスすることは不可能となった。
 今でもふと、彼女のことを思い出す。特にネットで小説を投稿できるサイトなんかを見つけると、知らず知らずのうちに彼女のコテハンを検索する。当然ヒットするはずなどないのだが。本屋さんに入っても同じ、もしかしたらこの中に彼女が書いた本があるかもしれない、そう考えると心が苦しくなっていつも飛び出してきてしまう。彼女は今でもネット世界をさまよっているのではないか、そんな幻想じみたことまで考えては、過去にとらわれる自分が嫌いになる。しかしネット世界に触れ続けるならば彼女のことを背負って生き続けなければならない。私にはそれをするだけの自信があるとは言い切れない。それでも今度は私の番。今度は彼女がこの新しくなったネット社会に順応できるように私がたくさんの知識を身につけ、彼女に教えなければならない。こんなに楽しい世界になりましたと教えてあげなければならない。そのために私は今日も最高の仲間と最高に楽しいことをして、ネット社会を生きていくのである。

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